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旧・西淀川コラム

  昭和初期の中島大水道(y38-1)
昭和初期の中島大水道(y38-1)埋め立て工事中の中島大水道
埋め立て工事中の中島大水道(k72-2)
埋め立て前のどぶ川になった中島大水道(k71-1)
埋め立て前のどぶ川になった中島大水道(k71-1)
中島大水道の話
中島大水道は、昔神崎川と中津川(いまの淀川の前身)にはさまれた広い地域が中島と呼ばれ、低湿地であるため排水に苦労していました。延宝六年(1678年)住民たちが民費をもって排水路を開削しました。費用は約2千両で、すべて周辺の22か村の負担で工事がおこなわれました。工事期間はわずか50日間ほどの突貫工事でした。多くの農民の労力に負うところが多かったそうです。いまの東淀川淡路から此花伝法に至る延長9.5km幅約22.5mの規模で高低差はわずか千分の一と緩いものでした。この中島大水道により上流22か村の田畑は増大し収穫量も増大しましたが、大水道の維持管理に関係者は苦労しました。このように幕府の力を借りることなく自主的な活動でわれわれの先人がこのような偉大な事業を成し遂げたことは誇りに感じますし、この中島大水道が現在の西淀川自慢の緑陰道路にかわり、区民の憩いの場に活用されているのは非常に喜ばしいことではないでしょうか。
中島大水道に関する資料は数多く残っていますが,野里誌〔池永悦治著〕に詳しく紹介されています。(写真)
     
緑陰道路の話
大野川は中島大水道と淀川を結ぶ延長2393mの川でした。戦前までは舟運水路として機能していましたが国道43号線の建設で下流部が遮断されると流水量が減少し水質が悪化、悪臭とごみの川になってしまいました.大阪市は昭和43年3月大野川を埋め立て高速道路を建設する計画を発表.それを知った住民らが昭和44年暮れに公害の町である西淀川に大型車道はもう要らない.ほしいのは緑.埋め立て跡は全面緑地帯にと大野川緑地推進委員会を結成しました。その中心となり活動されたのは喜多幡龍次郎さんです。
付近の工場経営者や府営住宅、小学校教師などが加わり二万一千人の署名を集めて反対運動を起こしましたこの頃西淀川の大気汚染は深刻な状況にあり、公害反対運動の動きを受けて二年間に及ぶ大阪市との激しい交渉の末、市はマスタープランから高速道路計画を削除、大野川は埋め立て後歩行者、自転車専用の道路を建設し、公園的な施設も加味した緑地帯にすることが決まりました.10年後の昭和54年JR神戸線から河口近くまでの全長2.9kmの大野川緑陰道路が完成しました。
このような住民運動から立派な緑陰道路ができたという事実は西淀川の住人として自慢できるのではないでしょうか。喜多幡さんらはこの大野川緑陰道路推進運動をさらに1歩すすめ43号線で分断されていた緑陰道路のアンダーパス工事を完成させ、さらには次に紹介します矢倉海岸海釣り公園の運動をすすめました。

現在の中島大水道(緑陰道路)(b16)
 
     
 
矢倉海岸先端部分(a1)

潮だまりも数ヶ所設けられています(a6)

野鳥の観察コーナーもあります。(a3)


矢倉海岸にできた海つり公園
西淀川区には、大阪市内で唯一コンクリート護岸が無く、自然のなぎさが残っている地区があります.西島二丁目の通称矢倉海岸と呼ばれる約19.8ヘクタール(6万坪)の地域です.先日の朝日新聞にも大きく紹介されましたが、緑陰道路を淀川河口に向かい終点まで歩きますと福の漁港、ヨドコウの正門があります。そこから淀川の堤防に上がり堤防沿いの道を河口に向かってずっと歩きますと、到着です。道路はあるのですが現在くるまでは行けません。このあたりはウォーターフロント開発による海岸線埋め立てが推進される中、昭和53年工業専用地域に指定され、工業誘致案が浮上したこともありましたが喜多幡さんを中心とした地元住民の大阪府、大阪市への地道な働きかけが功を奏して矢倉海岸公園構想がまとまりました.2000年9月環境保全に配慮した2.4ヘクタールの水辺公園が完成しました。
公園内には野鳥や昆虫、水辺の植物が観察できるような干潟が設けられ、三方水に囲まれた立地条件と景観に配慮し、自然石を使った荒磯護岸や野鳥観察所もあります。
現在多目的広場として開放されています東側14.1ヘクタールの地下には西淀川区、淀川区、東淀川区の抜本的な浸水対策として大規模下水道幹線(淀の大放水路)の末端処理施設(高度処理施設、雨水滞水地、ポンプ場)を建設しています。地上は随時緑地帯になります。いちど休みの日に自転車で行かれて見てはいかがでしょう.毎年体育の日にはぜ釣り大会がおこなわれ多くの人が集まります.賞品も豪華ですよ。
     
公害の話、青空財団の話
工場からの煤煙と自動車の排ガスによる都市型複合大気汚染の法的責任を問うた西淀川公害訴訟は1978年の第一次訴訟から17年に及ぶ裁判闘争のすえ1995年3月被告起業との間で和解が成立しました。そして同年10月西淀川公害患者と家族の会は和解金39億9千万のうち6億円を基金とし全国各地の公害地域の再生を支援する公益法人の設立を決め、翌1998年環境庁の認可を得て財団法人公害地域再生センター(愛称あおぞら財団)を設立しました。公害裁判の原告である患者が和解金の一部を基金として公害で疲弊した町と自然をよみがえらせようという取り組みは日本でははじめて.世界的にも珍しいNPO(非営利組織)であります。
青空財団はいま3つの柱で活動を進めています。
1. 公害地域の再生に関わる調査研究やモデル事業の推進
2. 公害対策に関わる住民・被害者の立場からの経験や教訓を後世に伝え、国内外に情報を発信する活動。
3. 上記を踏まえた環境学習や環境保健活動の推進。
もう少しかみ砕き具体的に説明しますと、地域づくりの提案を地域に根ざしたものにするため原風景・原体験の聞き取り調査や地域資源の掘り起こし運動があります。私の子どもも姫里小学校でこのような活動をしていると教えてくれました。街づくり探検隊、まちあるきマップの成果があります。(資料参照)
花や緑を育て緑地を造るといった活動をとおし公害病患者のリハビリをおこなったり、さらには公害地域におけるフィールドミュージアム活動を展開している.公害・環境問題の発信基地としての博物館づくりも含め西淀川区全体をミュージアムとして捉えるというもので.第一歩として西淀川地域資料室を開設しました。今後の活動に期待します。

公害の町西淀川(k71-3)